理事長・岡田信一 プロフィール

1955年、大阪生まれ。
10才位の時に友達のお兄さんに影響でビートルズを聴き始め音楽にハマり、ギターを弾き始める。
中学で初めてバンドを組んで以来、1970年代はバンド活動をしていたが、並行して心斎橋ヤマハでアルバイトを始め、次第に裏方の仕事が多くなる。 心斎橋店スタジオコンサート、88ロックデー、ポプコンの関西エリア大会等のステージ制作に関わるようになる。
1977年春、第13回ポピュラーソングコンテストに心斎橋ラッシュと親不孝バンドのギタリストとして参加、優秀曲賞を受賞、その秋の第8回世界歌謡祭にエントリー、武道館のステージに立ったがあえなく予選敗退。また心斎橋店でスタジオコンサートの制作とバンド活動に励む。
1980年辺りから、ポピュラーソングコンテストつま恋本選会や世界歌謡祭のステージ制作も手伝うようになり東京へ。コンサートのプロデュースが本業となる。 ヤマハ音楽振興会に所属して、雅夢のツアーを皮切りに野田幹子、久松史奈、セルフィッシュ、オイスターズ、等々、数々のヤマハのアーティストのステージを手掛ける。中でも1988年に青山円形劇場の101人コンサートスペシャルから始まった谷山浩子のステージ制作は20年以上に渡り、ほとんどのコンサートの制作演出を手がけた。
2007年日本経済新聞社主催の「日経おとなのバンド大賞」のプロデュースを担当し、大人のバンドの発表の場を作り、2010年そのスタッフのパーティーでうじきつよし氏、井上鑑氏、庄野真代氏や音楽評論家の田川律さんにおだてられ、長く封印してきたバンド活動再開。ついでにソロ活動も再開。 還暦前にして再びステージに立ち始め、ラジオNIKKEIの「大人のバンド大賞」のパーソナリティーも務め、ヤマハを定年退職後、2015年2月にその音楽評論家の田川律氏とのユニット「りつ・おかだ」でディスクユニオンから「りつ・おかだラストレコーディングVol.1」でCDデビュー。2017年2ndCD「りつ・おかだ ラストレコーディングVol.2」もリリース。 今も「りつ・おかだ」やソロライブで積極的に活動中。アルバムも絶賛発売中!
2019年2月、特定非営利活動法人「おとなのバンド倶楽部」設立に参加し、初代の理事長に就任。自身のライブ活動に加え、大人のロックコーラス「虹色楽団」やアマチュアバンドの活動のサポートも始める。

岡田信一/おかだしんいち

音楽プロデューサー、ミュージシャン

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「りつ・おかだ」で、田川律氏と。

田川氏は「おとバン」の名誉会長でもあります。