<追悼>田川さん、ありがとう!

特定非営利活動法人おとなのバンド倶楽部(おとバン)の名誉会長 田川 律さんが、2023年1月28日永眠されました。

ここに生前のご厚誼に深謝し、天国でも歌いつづけている田川さんをしのんで、「田川さん、ありがとう!」ページをつくりました。


~ごあいさつに代えて~

田川さん、ありがとう!

 

NPO法人・おとなのバンド倶楽部 理事長 岡田 信一

 

田川さんとの出会いは、1987年、ヤマハの世界中のアマチュアバンドを対象としたコンテストの演出を、田川さんにお願いした時です。それから20年後、また日経おとなのバンド大賞で審査員をお願いし、そこから「りつ・おかだ」のバンド活動に発展しました。NPO法人を立ち上げる時は、1も2もなく田川さんに名誉会長をお願いしました。

 

「アマチュアもプロも関係ない、歌う時は歌詞カードを相手のおでこにピタッと貼り付ける気持ちで歌うんや!」その田川さんの言葉を僕らは大事に引き継いでいきたいと思います。

田川さん、ありがとう!

 


田川 律さん 略歴

 

1935年大阪市生まれ。60年阪大史学部卒。大阪労音事務局勤務を経て、68年東京へ。ニューミュージック・マガジン(現ミュージック・マガジン)」創刊に参加。70年フリーに。

以来、音楽関係のさまざまな職種を体験。レコード・ディレクターとしては、岡林信康の「おいらいち抜けた」林光の「音楽ぐーん」などに参加。79 年からは朝日新聞の芸能欄にも執筆。

 

いっぽう、70年代はじめに劇団黒テントのために大人数料理をしたことから多人数料理を会得。同劇団の終身賄い人になったことをはじめ、「包丁一本晒しに巻く」こともなく、いろんなところへ出没しては、大勢のために料理をこなした。大阪の「春一番コンサート」で賄い人として活躍。

 

舞台監督、評論家、賄い人、翻訳や料理本の執筆、ワークショップ講師などなど多くの顔をもち、日本のフォーク、ロックのミュージシャンとは友人つきあいも多かった。

 

おとバン理事長の岡田信一と組んだユニット「りつ・おかだ」でCDをリリースするなど、ミュージシャンとしても活動し、各地のステ ージに立ち、様々な人と共演を果たした。

 

おとバンでは、2019年2月の設立時から名誉会長をおつとめいただいた。

 

主な著書「日本のフォーク&ロック史」(シンコーミュージック) 「シンガー・ソングライター」(ワニブックス) 「地球のにぎわい料理ブック」(ちくま書房)、訳書にマーク・ビゴ「マイケル・ジャクソン 孤独なピーター・パン」など。


田川さんの追悼ライブ&上映会

「田川さん、ありがとう!」

 

しめやかに行われました。

<大阪>

2023/3月4日(土)  

3月5日(日)  

2日間とも 

@大阪桃谷スペース・ムー

 

<東京>

3月10日(金)

@立川LaLaLa

 

3月11日(土)

@下北沢ラ・カーニャ

 

3月21日(火・祝)

@神田レタス

 

4月1日(土)

@下北沢ラ・カーニャ

 



(おとバン・インタビュー)

名誉会長 田川 律さん

<2019/6/23 おとバン・メルマガ掲載>

 

芒種の爽やかな休日の朝、おとバン・名誉会長の田川律(たがわただす)さんからお話を聞くことが出来ました。

 

「今の自分の周りの世界から生まれる音楽を創って欲しい」

田川さんはこれまで音楽評論家のほか、舞台監督、料理研究家、翻訳家、ミステリ評論家と多方面でご活躍されてきました。しかも10年ほど前から歌い手でもあります。

 

Q. そもそも音楽に目覚めたのはどういう経緯だったのでしょうか?

 

僕の子どもの頃の音楽っていったら、唱歌や歌謡曲、藤山一郎の「青い山脈」とかの。口ずさんだりはしてなかったなぁ。その後、大学で合唱団に入りました。勧誘の立て看板に「あなたは音痴ではない!」って書いてあったから。その頃自分は音痴だと思っていたので。(一同笑)

 

昔の歌声合唱団って言われるやつで、ロシア民謡なんかを歌ってた。軍歌は歌わへん。僕はバリトンや。

 

大学卒業後は音楽業界で仕事をしていきたいと思って、大阪で一番大きい音楽の会社だった大阪労音(現大阪新音)に入った。他は受けてへん。そこで、色んなことをやった。クラシックもフォークもロックもジャズも、あらゆるジャンルの音楽に関わってました。時にはカメラマンをやったり。ほんと、色んなことをやった。

 

Q その中で、一番、楽しかったお仕事は?

 

舞台監督! コンサートの仕切り。毎日毎日大阪を中心に色んなコンサートの舞台監督をやってた。

 

大阪労音には1968年までいて、その後東京に出てきて「ニューミュージック・マガジン(現ミュージック・マガジン)」の創刊から参加した。色んな評論を書いたなぁ。

 

(横から奥様が・・・)そういえば、東京に出てきて事務所を開いた時、電話をつけなかったんですよ。電話なんか入れて、好きじゃない仕事のオファーとか聞きたくなかったのよね(笑)。彼はいつも自然体で、構えることがない。暮らしの中から面白いことを発見して、自分でやってみて。料理もそう。豪華な男の料理が流行っていた時、冷蔵庫の中の食材でぱぱっと調理してた。それが全部器用にできちゃうんだから、やっぱり多才なんでしょうね。

 

田川さん、幸せですねぇ。(みんな、納得の表情)

 

Q 歌を始めるきっかけは?

 

70歳になってすぐの頃、ピアノの吉村安見子さんに誘われて、彼女のピアノに合わせて歌ったのが初めてかな。「律&あみこ~怪しい夜~」と題して、「月の砂漠」とかや。

 

上手く歌えたに越したことないけどな(笑)。楽器はね、やらないねぇ。

 

Q 「日経おとなのバンド大賞」では審査員をやられていました(2008~2010年)。アマチュア・バンドの演奏はいかがでしたか?

 

みんな上手い。

 

僕はね、音楽にはプロもアマも無いと思う。境い目がわかりづらい。何でもそうだけど“センス”が大事。どんなに上手くても、“センス”がなかったら伝わらへん。

 

Q 今後アマチュア音楽家に期待するのはどんなことですか?

 

アマチュア音楽家の人には、オリジナル曲を創って欲しい。今の自分の周りの世界から生まれる音楽を。そして、自分らの好きな音楽を貫くのがええんとちゃうかな。

 

僕も、まだまだ頑張ります。

今月は大阪桃谷のスペース・ムーと29日は銀座でおとバンKick-offライブ、秋には東阪ツアーも考えてるよ。来年3月頃、僕と大塚まさじ、岡田信一の3人で「オメデトサン」ツアーやろうっていう話なんだけど、車椅子でも入りやすいライブハウスが増えて欲しい。

 

御年84歳のおとバン・名誉会長 田川律さんは、とても柔らかな表情で、時々昔を回想するような表情で穏やかに、一方でキッパリとした口調でお話しくださいました。

 

田川さんが言われる「今の自分の周りの世界から生まれる音楽」がアマチュア音楽家からどんどん発信されるよう、おとバンも各種活動を通じて働きかけていきたいと強く認識したインタビューでした。

 

インタビューワー:

足立 研(おとバン発起人メンバー、正会員)

 

文・写真:

戸代澤 真奈美(おとバン理事・事務局長)


おとバンからは、2023/1/30付で以下の訃報を出しました。

記憶にとどめる意味でも、ここに記しておきます。

 

<訃報>

特定非営利活動法人おとなのバンド倶楽部(おとバン)名誉会長 田川 律 儀

2023128日永眠いたしました。

ここに生前のご厚誼を深謝し、謹んでお知らせ申し上げます。

 

田川さんは、おとバンでは20192月の設立当初から名誉会長として、自らのご経験と深い洞察力から、団体運営へのアドバイスをいただいておりました。

しのぶ会の詳細が決まりましたら、改めてお知らせいたします。

 

2023/1/30

特定非営利活動法人おとなのバンド倶楽部 理事長 岡田 信一

 

 

(以下、朝日新聞の記事から)

 音楽評論家の田川律(たがわ・りつ=本名永島律〈ながしま・ただす〉)さんが28日、誤嚥(ごえん)性肺炎で死去した。87歳だった。葬儀は営まず、後日しのぶ会を開く予定。喪主は妻永島美奈子さん。

 大阪市生まれ。関西フォークの黎明(れいめい)期を支えた大阪労音の事務局に勤務した後、1969年、音楽評論家の故・中村とうようさんらと共に、音楽雑誌「ニューミュージック・マガジン」(現「ミュージック・マガジン」)を創刊した。音楽誌や朝日新聞でのロックやフォークなどの評論に加え、翻訳や料理本の執筆、舞台監督なども務めた。ギタリストの岡田信一さんと組んだユニット「りつ・おかだ」でCDをリリースするなど、ミュージシャンとしても活動した。

 著書に「日本のフォーク&ロック史」、訳書にマーク・ビゴ「マイケル・ジャクソン 孤独なピーター・パン」など。